■千僧供古墳群
供養塚古墳
最終更新日 2006.07.09 00:49
供養塚古墳は、墳丘の周囲に馬蹄形の周濠がめぐらされた、後円部径約37m、前方部幅約22m、全長約70mの帆立貝式の古墳です。葺石があり、多くの形象埴輪が出土しており、古墳時代中期(5世紀終頃)に築造されたものと考えられています。
当古墳は、江戸時代から知られており、寛文二年に領主福富平左衛門が掘った時に、古鏡、水晶、刀などが出土しましたが、これらは残念ながら現存していません。
昭和8年2月に、馬淵小学校への通学路の造成時に土砂場とされ、採土の途中に石室が発見され、刀剣・短甲「
横矧鉄板鋲留式の板鎧」が出土しました。これらは、その後の昭和33年に樹脂加工の修理が施され、町有の文化財として大切に保管され、市指定文化財(昭和45年)にもなっています。
昭和57年、県営圃場整備に伴う発掘調査の結果、帆立貝式古墳であることが判明しました。しかも後円部には、幅約4m、長さ約8mのほぼ長方形を呈する「造り出し」を設ける比較的希な古墳であることも判りました。さらに周濠内からは、墳丘部および外堤より転落した多量の埴輪(普通円筒埴輪や朝顔形埴輪を主体に、家(八棟以上)、衣蓋、靱、人物、馬、鶏等の形象埴輪)が出土しました。これらの形象埴輪は、濠内でも「造り出し」に対峙する外堤側に集中的に認められ、いわゆる外区の存在が推察されています。出土した形象埴輪の内、142点が平成16年に新たに県指定の文化財に加えられました。
また、こうした古墳のあり方から、5世紀後半に大和朝廷と強い関わりのあった、推喬親王の墓ではないかと口伝されています。
■関連情報
http://www.pref.shiga.lg.jp/edu/katei/bunkazai/bunkazaisenshu/kenshitei/files/shitei28.pdf